東北の太平洋側に暮らす人たちには忘れようとしても忘れることのできない3月。

もう9年前の出来事ですが、それでもまだ9年前の3月11日に起きた出来事は鮮明に覚えています。

そのころはまだ郵便局に勤めており、ちょうどお客さまのご自宅で保険のご案内をしていた最中でした。

そんな中お客さまとお話をしているとき、突然携帯電話の緊急警報がけたたましく鳴り響きます。

その瞬間、お客さまのご自宅の床が上下に激しく揺れ始めました。

揺れるというよりも、お客さまのご自宅の建物自体が左右に激しく浮き沈みを繰り返したような感覚です。

私が座っていた後ろにあるコーヒーカップなどの陶器を収納していたサイドボードが、私の背中に倒れ掛かり反転してサイドボードを必死で受け止めますが、中の陶器類は激しく動き回りサイドボードのガラス扉を容赦なく突き壊し、外へと飛び散ります。

お客さまは倒れこもうとする推定42インチほどの薄型テレビを必死で押さえています。

脅威だったのは、その凄まじい左右への浮き沈みのように感じた揺れが異様に長かったことです。

ガシャガシャと陶器が割れる音のなかお客さまを気に掛ける余裕もなく、必死でサイドボードを押さえながら「何なんだこれは!」といままでに経験したこともない衝撃に何の判断も出来ず、ただただ振動が収まるのを待つばかり。

私にとっては強く左右に浮き沈みしたような時間が5分以上も続いたように感じられました。

ようやく揺れが収まりかけたときにお客さまの方へ声をかけることができましたが、お客さまもさぞかしビックリしたのでしょう、私同様無我夢中でテレビを押さえていたと思われ、私と目が合った瞬間に我に返ったご様子でした。

お客さまにケガもなくご無事だったことが幸いでした。

郵便局にいた時分は移動手段がバイクでしたので、3月ということもあり結構厚着をしていたのが幸いして、サイドボードを押さえていたときは中の陶器類が足元に落ちてきましたが私の方もケガするほどではなく無傷でした。

そのあとはお話を進めるどころではないので、落ちてきた陶器や割れてしまったコーヒーカップなどを軽く一か所に集め、ごあいさつをしてお客さまのお宅をあとにすることに。

まだこの時点では、さらなる悲劇が襲い掛かってくることなど想像もしていません。

すごく大きな地震であったのはわかりますが、震源地やどの程度の規模だったのか全く分からないまま別の職員に電話をするも携帯電話が繋がりません。

しかもお客さまのところを後にして10分以上も経っていますが、いまだに地面を揺らす弱い振動が収まりませんし、時折地鳴りとともに強い揺れも襲ってきます。

もうただ事ではないと判断して郵便局に帰り始めたのですが、その間の光景は地震の凄さを物語っていました。

道路の地割れ個所も多数あり道路が極端に隆起しているところや陥没しているところ、水道管が破損したと思われ亀裂の入った道路から勢いよく水が噴き出している箇所など非日常的な光景がつぎつぎに視界に入ってきます。

信号機も傾いて消えています。

なかには瓦屋根がそっくり滑り落ち隣のお宅にダメージを与えている場面も。

日常生活が麻痺し始めた状況でしたが、それでも私は無事生きて帰ってくることができました。

この時海沿いでは誰もが想像しがたい、すべてを奪いつくしてしまう大惨事が起きているとは露とも知らずに。

そして生命保険に携わっていなければ知らずに済んだかもしれない悲惨な現実が、身近で起きていたことを目の当たりにすることとなります。

いま日本中は新型コロナウイルスの感染拡大への恐怖にさらされていますが、2011年3月11日に起きた出来事は10年経とうが20年経とうが私が生きているかぎり、3月が近づけば毎回思い起こすことになるでしょう。

そして毎年3月の冷たい海を見るたびに、悲痛な思いに駆られることと思います。

9年前の東日本大震災でお亡くなりになられた方々には、心より哀悼の意を表しますとともに心よりご冥福をお祈り申し上げます。