2016年6月23日、イギリスでおこなわれたEU離脱を問う国民投票。

内容は皆さんご存知のとおり、大方の予想を覆す離脱賛成が僅差で上回る意外な結果となりました。

これにより改めてEUからの離脱を決断したイギリスでしたが、昨年12月の総選挙で圧勝した与党・保守党を率いるボリス・ジョンソン首相のイギリス政府が提出したEU離脱関連法案を2020年1月9日、イギリス議会下院の採決より賛成多数で可決。

上院でも可決される見通しで、EUと合意した離脱期限の1月31日以内に離脱することが事実上確定したようなものです。

もとをたどれば1960年代、経済的窮地にあったイギリスは打開策を求めEUの前身であるEEC(ヨーロッパ経済共同体)に加盟を申請しましたが、フランスのド・ゴール大統領が一貫して加盟に反対し加盟が認められませんでした。

その当時のイギリスはアメリカとの経済提携を重視しヨーロッパ諸国の統合には反対の立場とっていたこと(イギリスを加盟させるとアメリカ経済の影響力が介入してくることの懸念)や、旧イギリス植民地だった国々との経済的結びつきがありヨーロッパ諸国との経済協力には消極的な姿勢だったためです。

その上フランス・西ドイツ・イタリアなどからなるEEC(ヨーロッパ経済共同体)に対抗して、イギリスが中心となるヨーロッパの経済主導権の獲得を目指すEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)を結成していた経緯もあります。

ただイギリス中心のEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)はEEC(ヨーロッパ経済共同体)の工業力には対抗できませんでした。

EEC(ヨーロッパ経済共同体)にしてみれば、ヨーロッパ経済の覇権争いから外れEEC(ヨーロッパ経済共同体)体制に否定的な路線を歩み、経済が窮地に陥ったとしても今更という見解だったかもしれません。

その間もイギリスの経済不振は変わらず再三加盟を申請しますが、EEC(ヨーロッパ経済共同体)はEC(ヨーロッパ共同体)となりヨーロッパの経済協力体制が強固なものとなっていきますが加盟にはいたらず、ド・ゴール大統領の死後に起きたオイルショックによってヨーロッパ諸国に経済的な打撃をうけたことを機に1973年1月アイルランドやデンマークとともに加入が認められました。

その後1975年にときの首相であった第2次ウィルソン内閣(労働党)によって、EC(ヨーロッパ共同体)への継続的な加盟を続けるかの是非をイギリス初となる国民投票でおこない、加盟継続が支持されました。

つまり、1973年に悲願であったEC(ヨーロッパ共同体、現在のEU)に加盟はしましたが、1975年に加盟継続かの是非を国民投票で判断しようとしていますので、この当時からEC(ヨーロッパ共同体、現在のEU)離脱を主張していた政治家あるいは政党があったことになります。

1973年1月1日にEC(ヨーロッパ共同体、現在のEU)に加盟してから2020年1月31日(まだ時間が経過してませんが)のEU離脱までの47年あまり、膨大な時間の経過とともにEUとイギリスの関係を探るとけっこう興味深いことが見えてきます。

長くなりそうなので続きはまた次回で。