冬とは思えないほど暖かな日だった2月13日の土曜日。

多くの人々が眠りにつこうかと思われた瞬間だったかもしれません。

夜の11時過ぎ、突如2011年3月11日を思い起こさせるような強い揺れがやってきました。

初動にドンっと遠くの方で巨大な隕石でも落ちてきたような感覚の後に、上下に激しく動きだす強い縦揺れがおこり「こ、これは大きいぞ!」と直感できるような大きな地震。

それでも10年前に東日本大震災の強い揺れを実際に体感していますので、大きな地震であることは即座に感じましたが10年前ほどではなかったような。

強く揺れていた時間も短かったですし。

どちらかというと3月11日からちょうど1か月後の4月11日の午後5時過ぎに襲ってきた2回目の大地震に近いような感じです。

いまでも忘れませんが、10年前の3月11日は携帯電話の緊急警報が突然鳴り出した直後、地面にドンっと強い衝撃が走りそれと同時に左右に激しくガンガン動き出したような、例えるなら建物自体がシーソーの上に乗っかているような感じで何度も左右に激しく動き、その強い揺れが5分いや10分ぐらいは続いたので(時間は曖昧です)、これはただ事ではないことが十分理解できました。

強い揺れが収まっても地面自体は体感できる微震が続いており、ときおり数時間のうちに何度か強い揺れが地鳴りとともにやってくる。

今まで体験したことない大きな地震。

そして得も言われぬ不安感。

しかしその後、あの無慈悲な惨劇が海沿いでおこることなど、この時は思ってもいませんでした。

のちに私どもも生命保険の仕事をやっていなければ知らずに済んだかもしれないお客さま達の思いを、実際にご遺族から伺うようになっていきます。

2011年の3月11日、あの日実際に海沿いでは何が起きたのかを含めて。

あの日から早くも10年。

今年の3月で10年という時間が流れたとは思えないような、そうあの日の時間はほんの数年前の出来事のように鮮明に記憶の中に残っています。

たぶん一生そんな感じなんでしょうね。

今まで経験したことのない、あの時の異常な感覚と不安感そしてその後に起こった出来事は、記憶の中から消え去ることなどないでしょうし、私だけではなく東北の太平洋側の人々にとって10年前の3月11日とその後の時間は心に深く刻まれた忘れることのできない記憶だと思います。

もう2011年3月11日以来、風光明媚ないわきの海岸線を見ることができなくなりました。

10年前は各ご家庭で水道が止まり水の確保に苦労しましたが、2月13日の地震でいわき市内の水道に影響は出なかったようです。

10年前を教訓に海岸線の景色と引き換えに津波を防ぐ立派な防潮堤が出来上がり、水が出ないことで悩まされた日々も水道管がしっかり地震対策に強化され、原発事故の危険性もすっかり薄れてきました。

それでも2021年2月13日、誰もが気を許していたであろう時間に突如強い地震がやってきたように、「どこかに防災意識だけは多少なりとも持ち合わせておくべきだ!」と、警笛を鳴らされたようにも感じます。

そう自然災害はいつやってくるか、わかりませんから!